2013年5月31日金曜日
科学者と経済
科学者は象牙の塔にこもってシコシコと自分の世界で研究している。
というのは典型的なイメージでしょう。
でも実は、世界の政治経済状態は非常に大きな影響を研究業界に与えるのです。
例えば、ネイチャーなどでもたまに特集されていますが、ブッシュ政権の時に基礎研究業界が軽視され大幅な研究費の削減が迫られました。(これはイラク戦争によって財源が厳しくなったことが原因です。)
日本でも、事業仕分けなどがありました。(これはパフォーマンスであって政策的には全く意味はありませんでした。逆に蓮舫さんに取り上げられたスパコンなどは焼け太りしました。)
また、政策のみならず経済状態はより大きな影響を与えます。リーマンショック後には大きな補正予算が世界中で組まれたため、研究業界は軽くバブルでした。大型装置が飛ぶように売れた事でしょう。
中長期では、不景気は国の財政状態を蝕むため、シンガポールなどでは、基礎研究を重視する姿勢は全く見られなくなり、当初とは全く異なる方向に進んでしまいました。
このように経済知識はこれからの科学者にとっては重要なリテラシーになると思います。
2013年5月24日金曜日
学振 DC/PDってなんなんだろうね?
2013年5月22日水曜日
アメリカ国債の長期金利推移
2013年5月20日月曜日
日本経済の拡大に人口増加が必要ってホント??
日本経済を拡大するためには人口増加が必須だっていいますがホントなのかな〜
日々自分で考えることを生業にしているので経済の問題も気になる訳です。
経済規模を測るのに使われるのがGDP,
これってお金の流れを測っています。
もし私があなたが作った何かを10万円で買って、あなたがそのお金で、誰かの何かを10万円で買えば、お金は2回動いているので、GDPは20万円増える事になります。
つまりお金の増加量ではなく、流れの総量を測っている訳です。
だから、同じところをぐるぐる回っていても、GDPはどんどん増えていくことになります。
では、少子高齢化はどれほどダメージを与えるんでしょうか?
もちろん労働者の生産量+付加価値量が減ることは間違いないでしょうが、案外そんなに減らないんじゃないかと思います。
というのは、これまでに日本人がため込んできた国富の量が半端ないからです。
例えば、これまでに日本人が稼いだお金は海外に投資されていますし、それが所得収支の大幅黒字として現在もぞくぞく日本をとましています。
これのおかげで、円安+資源の大量購入(特に震災後は顕著に増加)にもかかわらず、日本の経常収支はプラスなわけです。
つまり、差し引き日本国は外国とのやりとりで黒字ってことね。
結局、この国富がきちんと収益を上げ続ける限りは日本経済もだいじょーぶなんじゃないのかと思う訳です。
2013年5月14日火曜日
博士課程学生の質
ポスドク問題の報道のせいか、いわゆるゆとり教育のせいか、
最近、博士課程を志望してくる学生の質の劣化がひどい。
まず、自律的になにかしようという気がとぼしい。
もちろん基礎的な知識も乏しく、高度な研究についていくことが困難である。
また、大学院も学生の確保に必死であり(定員の充足)、試験のレベルを落としたり、試験をなくして面接のみで採用したりしている。
これでははっきり言ってモラルハザードである。
学歴ロンダリングを目的に国公立大学大学院に入学をする学生もいるし、
そもそもそんなことを考えることもできない学生もフラッとくる。
アカデミアで何かワクワクする事ができると信じている学生もいる。
これは本来喜ぶべき事だろうが、そこにはわくわく出来る実態はないのだ。
本当にわくわく出来ることはアカデミアではなく、経済界にあると思う。
例えば、現在なら、Googleとかアップルとか、日本にも、LineとかガンホーとかYahooもそうだろう。そういった会社は、面白い事を目指していく過程で利益を上げている訳である。
周りを見渡しても、ワクワクして研究をしている人は少ない。ほとんどは焦燥と無力感にさいなまれた暗い顔をしている。
まぁ中には、楽しそうに研究しているひともいるけどね!
2013年5月13日月曜日
武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり
葉隠の一節
武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり
戦中は"死"を肯定するために利用された。
国がお国のために死ぬことを正当化した言葉。
しかしこれは"生"を肯定する言葉である。
隆慶一郎の「死ぬこととと見つけたり」はそのことをモチーフにした傑作。
わたしが何を感じたかというと、
”常に捨て身で生きよ”ということである。
わずかな給料に汲々とし、
たいしてインパクトもない論文を書く。
どう考えても割にあわんだろそんな生き方は。
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2013年5月9日木曜日
学振 DC取り方
学振の提出まじかですかね。
学生さんの書類を見ましたが、なかなかM2の学生さんには難しいようです。
DC1を取りたいとのことですが、論文ないと厳しいのに希望的観測で添削してくださいと持ってきます。
(せめて、ちゃんとした日本語で持ってこいと言ってやりたい気分でしたが。)
まあ月20万円がもらえるだけですから、とっても取らなくても大して変わらなんきもしますが。
本当にそんな気がしています最近。
お金はあった方が良いでしょうが、博士課程に進むなら金の算段はつけてきましょうといいたくなります。
金のない世界ですから。
まあでも、お金のためだけに人間は働けませんし、研究っていうのはある意味、夢に通じるものでもあります。ワクワクするとか
白昼夢のような気もしますが。胡蝶の夢??
はっと気づくと年取ってる。
なんにしてもがんばってください。
学振とれたら、でかい顔して学生できるかも。
(人生の道をだいぶ外れてきてしまったものだ。はぁ〜)
でも20万円だったら、理研で学生してJRAをモラウとか。お金持ち研究室にはいってちょっとばかしお金をもらうとか。他にいろいろ方法があるような気もします。
なんにしても、学振とるなら業績業績業績です。
がんばってねー
2013年5月8日水曜日
チャンスを拾うということ
研究も人生も、何か落ちているものを拾うというのに似ている。
別に、特別に自分で生み出すというよりも、自然現象の中にあるチャンスを拾うわけである。
あたりを見渡せばチャンスにあふれている。もちろん、特定のスキルがあると掴みやすい。でも中には誰でも拾えるチャンスもあるのだ。常にチャンスがあるかどうかに集中していれば、誰にだって大チャンスがあるのだ。
だからヒトが多くて混み合っているところにはチャンスが少なくなる。
ここはチャンスがあると皆が思えば、そのあたりは草刈り場になってしまう。誰もいない、誰も興味を示していないところに行く方がよい。でもこれは鼻がきく必要がある。
大半の人は自分にはそんなチャンスは自分には巡ってこないとあきらめている。一歩踏み出す行動力がないのだ。チャンスを拾いに行くと車にでも轢かれると思っている。だけど、そこに立ち止まっていてはいけない。とりあえず、前に出て拾いに行ってみるのが大事。それが何でもなければ忘れてしまえばいいのだから。
2013年5月3日金曜日
ポスドクと会社員と年収
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