2014年1月23日木曜日

怪しいサイエンスが良いサイエンスだ

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タイトルの通り、怪しくて危うくて、ピンと来ない研究が良い研究という話。

昨今では、「わかりやすい」ということが正義である。
アカデミアでもその傾向は先鋭化しており、
まず、飯の種である研究費の獲得からしてそうである。



数年単位で実現可能なプロジェクトを審査委員にわかりやすく書くことが重要である。
いついつまでにこの辺りまで到達可能であり、実現するためにこのような技術でもって・・・

しかし、サイエンスの歴史が示しているように、そのような連続的な進歩は、長期的視点では、ほとんど影響力をもたない。10年もすれば誰も覚えていない。

サイエンスのブレークスルーは非連続的であり、基本的に実現可能性を断言できるものではない。

つまり、審査委員が容易に理解できるサイエンスは無価値に近い。
かといって、怪しくて、危うい研究費申請書は確実に落ちる。

科学行政が内包する矛盾をどうやって克服していくかが問題である。

で、どうすればいいかって?
バラマキをするしかないという訳です。
薄く広く、研究資金をバラマクことによって、多くの種を創出することが
大切なんですね。
今の日本の行政は数点集中してばらまいているので効率が悪い!薄く広くばらまくことで種が生まれる。応用は企業さまにお任せすればいい。経済的合理性があれば、すぐに実用化してくれるし。

重要なポイントは、どの分野が将来役に立つかなんてほとんど予測不能ですからね。
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